卒業生シリーズの最初は、20年ほど前に卒業した垣尾正明さん。ずっと宮大工の仕事をされています。学生の頃から物静かで目立たず、でもいつも何かと身を惜しまず作業を手伝ってくれました。卒業後も講演会や見学会などで顔を合わせることも。決してスーパースターという目立った存在ではなく、コツコツ勉強をし、年輪を重ね続けてくれている人。そんな垣尾さんに取材をお願いしました。
清水寺奥の院修理工事現場前にて 2016年8月16日
さのやあ、ひさしぶり。卒業後もう20年というのに、ちっとも変わっていない。
垣尾先生こそ、お変わりなく。今日は暑い中、清水寺の現場までご苦労さまです。
さの垣尾君が数年前から京都府文化財保護課で仕事していると聞いたよ。前は民間の会社で宮大工の仕事をしていたよね。文化財保護課は違う?
垣尾はい、腰の座ったしっかりとした仕事ができます。
さの昔から目立たず、コツコツとやっていた垣尾君には合っている。誰かの紹介があったの?
垣尾いえ、紹介というわけではなく、昔からお世話になっている棟梁から教えてもらって、公募に応募しました。
さの公募って、文化財保護課の大工って、誰でもなれるのかな?
垣尾はい、文化財の修理の仕事にある程度の年限で携わった大工なら。
さのなるほど。それはよかった。で、今は清水の現場から別のところにいると聞いたんだが、そこは撮影が難しそうと思ったので、誰でも知っている清水さんで写真をと、お願いしたんだ。
垣尾はい、でも残念ながら、今はお盆休みでここの現場も入れません。
さのお盆明けには素屋根も足場も取れるそうだね。ちょっと早かった。
さのところで、君はどうして宮大工になったんだい?
垣尾何か腕のある専門性の高い大工、数寄屋大工か宮大工になりたいと思ってました。
さのどうして大工を?垣尾君は確か外大を卒業してから学校に来たよね。
垣尾そうです。漠然とサラリーマンを考えていたのですが、何か具体的な仕事のイメージがもてなかったです。もっと直接に自分の手でつくりたいと思うようになって。父も大工でしたし。
さのそうだったんだ。垣尾君には京北の山小屋を建てる時にずいぶん手伝ってもらっていたけれども、当時はまだ学校で大工仕事をやるということはなかったので、誰がどれだけ大工をしたいのか、出来るのか、わからなかったな。
垣尾その頃の学校は図面ばかりでしたから。でも、三上先生がおられて、文化財の工事現場にも連れて行ってもらいましたし、見学の授業も、市民講座で職人さんの話を聞くこともできました。今は木工の授業があっていいですね。
さのそうだね。君の少し後に、文化財保護課で長年、国宝重要文化財の修理をされた横井博史棟梁に指導してもらった木工授業があって、今は次の世代の棟梁たちに面倒を見てもらっている。生徒たちも、毎日のように放課後に研ぎものをやっている熱心な子もいるし、町家の改修なども一緒にさせてもらっている。
垣尾僕は大工がどんな仕事をしているか、ほとんど知らずに就職したので、始めのうちは苦労しました。
さのそれは今でも一緒さ。で、今は仕事が楽しいかい?
垣尾はい。毎日、木と向き合って仕事できて、嬉しいです。
さのそれは何よりだね。そのカンナは?
垣尾『清久』、仕上げ鉋です。
さのその四角い木槌で打つんだ。
垣尾はい、鉄の玄翁だと、刃の頭が変形してしまうので。この赤樫は、昔工事をしたお堂の廃材をもらって作りました。鉋専用の槌です。
さのいいねえ。こだわりの道具を大事に使いながら、好きな仕事をして行けるなんて。まだ20年は第一線で仕事ができる。何か夢はあるかな?
垣尾今の仕事をずっと続けて、いつか、人に教えられる棟梁になって、弟子を育てたいです。
さのそれは素晴らしい。ぜひ頑張ってください。今日はありがとう。また君の仕事が見られる時に呼んでください。
垣尾はい、先生にも学生さんにもご覧いただきたいです。
さのそして定年になって暇ができたら、この学校で教えてくれると嬉しいな。
垣尾ありがとうございます。お声をかけていただけるよう、頑張ります。