伝統建築見学 宇治の平等院 5月19日

晴天の中、宇治の平等院へ伝統建築見学へ同行しました!
私は鳳凰堂の平成の大改修以来となります。

10円玉に描かれている宇治の平等院鳳凰堂。建設当初は藤原道長の別荘でしたが、道長の死後に息子・頼通が浄土思想に基づいた庭園や鳳凰堂などを建てて、寺院に造り替えたそうです。

中国との国交が無くなった後、日本的建築は平安時代に基盤を築くことで寺院にも使われていくようになり、その面影が翼廊(主屋から独立した別の建造物となっている両サイドの建物のこと)に残っています。そしてその翼廊と阿弥陀堂の形状が鳳凰に似ているため、鳳凰堂と呼ばれるようになるそうです。

母屋は三間庇(ひさし:窓や出入口の上に取り付けられるでっぱり部分のこと)の和洋折衷。最も普及した三手先の斗栱(柱から外方に 斗 ます 組みが段出ていて、段目の斗で 丸桁 がぎょう を支えるもの)の構造となっています。

阿弥陀堂の内側は丸柱で外側は角柱。面取りが大きいのが平安時代の建築物の特徴で、時代が進むにつれて面取りが小さくなるとか。


(集合写真は山本先生撮影)

集合写真では綺麗にトリミングして山本先生が撮影してくださっているのですが、右側にマンションが2棟並んでます。
平等院が世界遺産に登録された後に、マンションが並んでしまっている景観に気が付いたそうで…(登録前に気がつくでしょ…と思いましたが)時すでに遅し、という事で宇治市は景観保全に注力をするようになったそうです。


中の本堂は撮影禁止とのことで、文章でしか伝えることができませんが、御本尊の阿弥陀如来像の頭上には木造天蓋があり国宝に指定されているとのこと。
後ろに見えるクレーンは、どうやら植木屋さんがクレーンを駆使して植木の手入れしているそうです。クレーンを使った植木のお手入れは初めて見ました!

庭をぐるっと回ると、平等院鳳凰堂の材を流用した六角堂。
本来の六角堂の大きさからは、使用されない大きな材が使われているからか、この歪さが可愛い!

最後に観音堂。
鎌倉時代に造られた桁行七間、梁間四間、寄棟造と大きめなお堂です。
垂木は地円飛角(下の垂木は丸型、上の垂木は四角)とちょっと古風な造りになっています。中の仏様は鳳翔館へ移されているとのことでした。

今回は現代の景観問題についても触れ、日本あるある問題だな…と思ったと同時に次世代の学生たちには事が起こる前に気がつく人材に育ってほしいなと思いました。(Harumi.I)