秋の見学旅行−4 箱木家住宅  11月26日

竹中大工道具館を出ると、バスの中でお弁当をいただく。六甲山のトンネルを過ぎて六甲の北側に出て山村風景を楽しんでいるとまもなく丹生の千年家に到着する。

箱木家はこの辺りの地侍の家。侍といってもほとんど農家と変わるところはない。この復元された家でも武家住宅に付きものの敷台玄関というつくりは無い。

箱木家は平安時代の築と伝えられ、千年家と呼ばれたが、さすがにそこまでは遡れそうになく、現在は14世紀ごろの築ではないかとされている。それでも十分古い家だ。衝原湖の整備に伴って70mほどの移築が行われ、その折の調査でもともと2棟の家をつないで1棟にしたものであることが判明、復原修理とされた。もとの堂々たる家の模型が離れの物置に置かれている。

 

ガラスが光を反射してよく見えないので、かつての写真図版を。

 

出典:https://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/27678d45a4da1c7dbb3114299e5eecf2

(下山真二氏の論考が箱木家の構造について詳しいので、興味ある人はぜひ覗いてみてください)

内部はかなり暗い。家の半分以上が土間ニワで、囲炉裏のある板床のオモテと土間に開かれたダイドコ、その奥の閉ざされたナンド(寝間)、からなる。通常の民家ではほぼ棟の位置に柱列が来るのだが、箱木家ではほぼ3間の上屋部分を3等分した位置に柱を立て、棟木お立ちを受ける中置き(地棟)が梁で受けられている。どうも不可解な構造だ。柱の位置も微妙にずれていて、一体、大工はどういう刻みの段取りをしていたのだろうと不思議に思う。

土塗り大壁で囲う外周の下屋柱フレームは内部の上屋柱フレームとほとんど繋いでいない。四隅でかろうじて繋いでいるだけである。さらに小屋の垂木を受ける母屋材が1本しかなく、しかも細い。荷重を受けることは考えず、ほぼ横ずれを止めているだけである。垂木は合掌材のように頂部で逆側の垂木と噛み合わせて止めているのだろう。こんな弱々しい構造で700年近く永らえられていることが驚きである。

以前に来た時にはこの広い土間にさまざまな農機具や生活道具が置かれていたが、今回はほとんど何も無かった。竈門からダイドコまでずいぶん間があるので、どんな風に調理し、食事していたのか。あるいは土間にむしろを敷いて食事していたのかもしれない。東北の農家、馬を大事にしていた岩手の曲がり屋では、馬の飼料を炊く別のかまどがあったことを思い出す。温暖なこの辺りでは馬屋の外でもその準備はできただろう。

  

オモテには窓が一つだけ。やっぱり囲炉裏周りは昼でも暗い。ここの縁側はなかなか居心地がよい。深く葺き下げた屋根が目の前まで降りて来ていて、いかにも護られた感がある。

  

(さの)