第3回市民講座シンポジウム@京都府庁 12月8日

シンポジウム「創造力を育むまちとは?〜五条坂で考える」は、京焼の地域として知られる五条坂の昨今の変貌ぶりをなんとかしたいというのが主題です。私は以前、この地にある登り窯の保存活用に関わっていたこともあり、登り窯の研究者である立命館大学の木立雅朗先生、地元の六原自治連合会の菅谷幸弘事務局長さん、陶芸家の猪飼祐一さん、折しも五条坂でホテルの設計を担当している京大の田路貴浩先生の4氏をパネリストにお招きし、お話を伺いました。

木立氏:専門領域の考古学というモノの歴史を探りながら、今まで関わって来られた人たちの歴史も知り、残されている登り窯の重要さを思い知った。旧藤平陶芸の登り窯はたいへん貴重な遺産であるだけでなく、その圧倒的な存在感で見る人を感動させる。京都市の管理となって保存されることにはなったが、もっと活用することがこの地の京焼に貢献できるのではないか。

猪飼氏:かつて京都の登り窯は共同窯という形態をとっていて、いろいろな陶芸家たちや職人が集まり、地域のお祭りのような勢いがあった。その後、大気汚染防止条例により、登り窯が焚けなくなってからは、各陶芸屋で小さなガス窯や電気窯で焼くようになり、効率よく焼けるようになった反面、焼き物は迫力を喪った。今は使えない登り窯だけれども、その迫力は人を惹きつける。ここに人が集まることで、かつての交流や盛り上がりを期待したい。

菅谷氏:六原地域は予てから高齢化率、空き家率で問題となっていた。特に防災ということで、住民や専門家と一緒になっていろいろな活動をやってきたのが地域のまとまりを作ってきた。問題とされた狭小な小路や路地も、住民の方たちで名前をつけるなどの評価活動を通して、問題点を意識し、その良さを見直すことができた。次に観光の問題がやってきて、住みにくい点も出ているが、努力して良い観光の姿を一体で考えて行きたいと考えている。そんな中で、登り窯は地域のシンボルとして生かせるように思う。

田路氏:登り窯については、哲学者ハイデッガーの「もの」についての考察が思い出される。もののあり方の一つに道具があるが、道具として使われている間は気づかれなかったものの存在感が、道具であることをやめた時にそれとして現れて来る。「もの」はドイツ語の古語では「集める」という言葉につながる。ものは人を周りに集めるのだと。登り窯の「もの」性が現れるように場を整えて生かしたい。それをマネジメントする人間が必要だ。

佐野:かつてあの窯が藤平陶芸の窯である頃にはできなかったことが、今は地域の多くの人たちの期待感が寄せられる状況になったのは嬉しいことだ。ぜひとも、京都市や学校、地元住民、研究者、産業家と連携してアクションを起こして行きたい。その連携の中で、どんな活用形態がふさわしいか、登り窯を納める建築の姿も合わせてこの議論を続けたい。  (佐野)