この倉庫の1階の2/3は車庫で、内装制限がかかるために、壁と天井は難燃以上の材で覆わなくてはならない。設計では天井や一部の壁をセメント木毛板で覆い、外壁の内側を土塗り壁としている。木摺を打ち終えて、いよいよ土塗り作業に入る。
壁土は今まで京都市内伏見区の大亀谷の土を練ってダンプで運んでもらっていたのだが、それが近年、出来なくなってしまった。かつてあちこちにあった壁土メーカー(泥コン屋と呼んでいる)は現在、福知山にしかないそうだ。8月21日、その福知山からおよそ60m2の壁面積に厚みを3cmとして、1.8m3の練り土が届いた。いつものように古土と新土を混ぜて練り上げる手間がかからないのはありがたい。稲藁がまあまあ練り込まれているが、もうちょっと加えたい。
さっそく南西の角から塗ってみた。粘っこくて塗りやすい。思い出した。10年前に京丹波町の古民家改修でもこの土だった。
この日、5枚ほどを塗った。やはりブレースと金物が邪魔になるが、下地としてはなんとか塗れる。ただ、次の仕上げ塗りはどう塗るか、今回は残している間柱を塗らねばならない。とりわけこのスパンではブレース位置が壁芯に寄っていて、ブレースが間柱に当たっているので、ブレースが半分ほどは土に埋もれることになるだろう。
翌22日は建築学会近畿支部との土壁教室の準備で京北はお休み。23日に準備に来てくれた1年生たちに声をかけてS永君とY田君が手伝ってくれることに。
もちろん2人とも壁塗りは初めて。でも厚みを揃えることの意味は理解してくれて、ゆっくりだけれどもちゃんと塗ってくれる。
昼頃に京北で茅葺き小屋を修復しているフランス人セバスチャンが若者たちを連れて来た。マルセイユの大学で建築を学んでいるという青年にちょっと壁塗りをちょっと経験してもらった。そういえば、セバスチャンにもお世話になったフランスのミュージシャン左官職人のファディから9月にまた来ると連絡があった。でもそれまでに壁塗りは終えねばならない。
もう1人2年生のF地君も壁塗りに加わってくれた。なかなか器用だ。設計志望だが、大工仕事にも興味があってときどき手伝いに来てくれる。
日暮までに南面のほとんどが塗れた。おつかれさま。
8月26日、1年生のO山君とS田君が来てくれた。途中から階段の据え付け作業になったが、階段が終わってからS山君も一緒に東面の壁塗り。S田君はとても上手くて驚く。聞けば、工業高校時代に左官3級を取得したという。道理で、納得。仕上げ塗りもやってもらおう。
8月27日再びS永君、S田君+S山君で東面を塗り切ることが出来た。S山君も上手だ。仕上げ塗りもやってもらおう。おつかれさま。
下地塗りには4日間、延べ12人かかった。仕上げ塗りは同じ土に砂と中スサを混ぜて練るという作業も加わるし、間柱を塗り被せてきれいに仕上げなくてはならないので、もっと手間がかかるだろう。18人を見て、3人でやって6日を計画したい。よろしくね。
この日、台風接近前にということもあって、足場屋さんによる解体。ようやく建物が姿を現した。じっと見つめるS山君。自分の手でやって来た者にしかこの感動はわからない。
壁塗りの終わるのを待って、電気屋さんが作業を始める。土壁は塗り立てのこの色合いがいい。柱がしっかり見える。これから乾くと、元の土色に戻っていく。今にしか見えない光景だ。
壁塗りが終わって外に出ると、足場はすっかり無くなって全景がしっかり見えた。正面のこの距離では目板の表情が見えない。
近づいて見上げると、丸太や目板の表情が見えてくるが、柱はイマイチ見えない。せっかく苦労して真壁にしたのにね。
斜めから見れば、柱も目板の陰も見えてくる。残念ながら、この建物は正面しかよく見えない。川側の桜並木からも写真を撮らなくちゃね。
(さの)